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ダイネツの歴史・沿革
■ 堺の炭問屋 葛籠屋(つづらや)の誕生 | ||
時は江戸時代。11代将軍徳川家斉が世を治め、一見、太平の世の中に見えましたが、さまざまな政治的不安が取りざたされていました。そして12代将軍徳川家慶の信任を受け、老中に就任した水野忠邦が中心となり幕府財政の再興を目的とした天保の改革が行われました。天保の改革は「質素倹約の重農主義を基本とし、享保・寛政時代への復古を目指す」。そのような時代でした。 そんな中、堺は摂津、河内、和泉を中心に膨大な貿易収益により国際自由貿易都市としての地位を築き上げていました。ダイネツは今から約200年近く前の文化10年(西暦1813年)、この堺の町に炭問屋、【葛籠屋(つづらや)】として創業しました。葛籠屋(つづらや)はこうした国際自由貿易都市の中で誕生した堺商人です。堺商人、大阪商人は「あきない、あきんど」という言葉があるように、何となく伝統を重んじ、頑固な商人としてのイメージがありますが、実際には無理無駄をはぶき、合理性を追及し、心の融合を伝統と解釈する人々の集まりです。堺の商人の精神は現代でも十分通用する近代的な考え方なのです。 |
葛籠屋の炭問屋の板の写真 文化10年(1813年)に役所よりもらった手形で、ダイネツの創業の証しでもあります。いま現在もダイネツ本社に展示してあります。弊社は 2013年をもって、創業200周年を迎えます。 |
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泉州堺港新地繁栄之図 天保7年頃 (1836) 堺市デジタル郷土資料展より |
文久改正堺大絵図(遥明堂) 文久2年 (1862) 堺市デジタル郷土資料展より |
■ 明治の巨星と | ||
葛籠屋と深い親戚関係にあったハイカラな土佐藩士後藤象二郎(後の初代大阪府知事)と岩崎彌太郎(三菱創始者)の助言により、葛籠屋は明治時代にいち早くスポーツの価値を認識し、テニスコートニ面を自宅敷地内に造り、一般に開放しました。ここに堺商人の魂の一片を垣間見ることができます。 大政奉還の立役者でもある後藤象二郎は堺の葛籠屋に在宅し、二階建て馬車で大阪の知事公舎に向う姿はなかなか粋でハイカラであったと伝えられています。 また三菱創始者士魂商才を重んじた岩崎彌太郎も葛籠屋で「やたさん、やたさん」と呼ばれ親しまれていました。 当時の葛籠屋主人、葛籠屋安兵衛はやたさんに堺の商いをよく説いたと伝えられています。 |
■ 未来へ・・・ タイムカプセルEXPO’70 | ||
右の写真は、1970年の日本万国博覧会の松下館で 『タイムカプセルEXPO’70』で使用されたもので、弊社で、焼きなましを請け負ったときの写真です。 タイムカプセルは2個作られ、そのうちの一つが2000年3月15日に1つ引き上げられ、現在では、松下歴史館に展示されているようです。 2005年2月には、グリコキャラメルのフィギュアの一つにもなりました。
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●詳しくは下記をご覧下さい。 【松下歴史館】 http://www.panasonic.co.jp/rekishikan/tour/capsule.html 【タイムスリップグリコ】 http://www.ezaki-glico.com/release/20050120/index.html 【タイムスリップ大阪万博展】 http://kachimo.expo70.jp/?eid=115948 【タイムカプセルEXPO’70】 |